2009年1月12日

でんでん建築


またか、そういわずにお付き合いを。
大阪城天守閣からちょうど南の方角、大阪城公園と阪神高速に挟まれた一角にNTT西日本があります。あまり人気もなく、南に面してはビュンビュンと車が走り抜ける都会の荒涼。周辺に高いビルも少なく、結構目立っているのに、明らかに誰からも相手にされてない。しかし、そんなあなたをビルマニアはしっかりみています。


昭和37年に建てられた「東電話局」、現在は「NTT西日本馬場町ビル」と呼ばれています。写真が掲載された雑誌のコピーが手元にありますが、この頃はまだ阪神高速も通っておらず、すっくと建つ清廉な佇まいはこちらも背筋が伸びる思いがします。


昔は1階の壁と柱は打放しだったのですね。四角いハコに連続窓と庇をくり返し。愚直といえば余りに愚直ですが、そのケレン味のない誠実な佇まいにどうしようもなくビル萌えです、って何言ってんだ?


この連続窓と庇のスタイル、実は電話局ではなく郵便局の専売特許。戦後復興期から高度経済成長期にかけて、大量の郵便局舎を整備していくために編み出された、〒マークと並ぶ郵便局のアイデンティティ、それが「郵政建築」と呼ばれたこのスタイルです。みなさんの街の郵便局も、少し古い局舎ならグルッと庇が回っていませんか?たとえば大阪なら、天神橋の日本郵政グループ大阪ビル(大阪郵政局)とか。


なぜ電電公社がこのビルで郵政スタイルを取り入れたのかは調べられていませんが、電電公社と郵政省は双子の兄弟、もとは逓信省というひとつの組織でした。とても深い関係があります。そして電話局と郵便局、どちらもそれこそ全国津々浦々、どの街にも必ずひとつはあるわけで、これまで本当に大量の電電ビル、郵政ビルが建てられてきました。その量と質が街に与えた影響というのは、ビル界(?)でも群を抜くと思うのです。だからこうやって電電ビルを追いかけていけば、街の戦後ビルの魅力の秘密がわかる、そんな予感がするわけです。


ところで先ごろ、『郵政建築』なる立派な本が出版されました。逓信時代から民営化された現在まで、郵政建築の流れを詳しく辿ることのできる資料性の高い書籍です。もちろん次は『電電建築』を是非。


ちなみにとなりに建つNTT西日本ビルは巨大なチョコレートビルです。クリスピー。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

登ったり離れたり見上げたりして見ているあなたに同志ながら感動いたします。